特集 Vol.4

操作性・カスタマイズ性が格段にアップ!! 新・アタッチメントモード NEW ATTACHEMENT MODE

様々な現場で活躍するショベル。今まで先端アタッチメントの変更は、現場や用途に応じて調整に多くの時間を要していました。
そこで新型SR-7の開発では、ユーザーからの要望を課題化。操作性・カスタマイズ性を大きく改善したのが【新・アタッチメントモード】です。

従来機との違い① 流量と油圧の自動調整モードが充実

【新・アタッチメントモード】では、設定モードが3つから8つに増加。使いたいアタッチメントのアイコンにジョグダイヤルを回すだけで、設定済みの値がセットされます。多くのアタッチメントを使用する林業をはじめ、様々な現場に対応するオペレーターの負担を軽減します。

  • バケット
    バケット

    掘削作業で選択するモードです。

  • ブレーカ
    ブレーカ

    ブレーカなどの一方向回路のアタッチメントを装着時に選択するモードです。セレクタバルブの切替えが必要です。

  • ニブラー
    ニブラー

    ニブラーなどの油圧圧砕機を装着時に選択するモードです。

  • 回転グラップル
    回転グラップルNew

    グラップルなどの作業を考慮したモードです。

  • プロセッサー
    プロセッサーNew

    プロセッサーなどの作業を考慮したモードです。

  • サムバケット
    サムバケットNew

    サムバケットなどの作業を考慮したモードです。

  • チルトローテータ
    チルトローテータNew

    チルトローテータなどの作業を考慮したモードです。

  • 個別設定
    個別設定New

    上記以外のアタッチメントにカスタマイズできるモードです。

従来機との違い② サービス工場の調整スピードが改善
ソフトウエアの一新が大きな一手に

従来機では、要望に応じたソフトウエア修正を個別に行っていたことで、アップデートが困難な状況にありました。
今回は、ソフトウエア個別対応をやめ、すべての機械を一括アップデート対応のシステムに変更。細やかなチューニングを必要とする複合操作調整では、サービスマンの作業スピードが格段にあがります。モニタに表示するアイコンもよりわかりやすいデザインに変更することで、操作性が向上しています。
これらの改善により、工場で行う調整がスムーズに、オペレーターの皆さんにより高いサービスを提供出来るようになりました。

従来機SR-7
アタッチメントモード3モード8モード
ソフトウエア個別対応
アップデート困難
一括アップデート
常時最新
サービス工場調整個別対応で時間がかかる従来機よりスムーズに
新・アタッチメントモード開発秘話 「出来上がった時は、やってやったぞ!と」(藤本)
「こんなに勉強して、苦しんだのは初めて」(鈴木)

フルモデルチェンジによって誕生したSR-7シリーズ。その中でも大きな変化を持って登場した【新・アタッチメントモード】はどのように生まれたのでしょうか。開発の鍵を握る、プロジェクトリーダーの藤本健一とソフトウェア開発担当の鈴木裕太が、開発秘話を語ります。

藤本 健一
ショベル開発部
重機中型開発グループ
藤本 健一 (ふじもと けんいち)

2006年入社以来、主に7t、13tショベルの開発をメインに担当。今回は新型機・SR-7開発におけるプロジェクトリーダーとして全体のとりまとめ役を務めた。コンセプトや開発方針を営業部門と検討し、各開発グループや関係部署を繋ぎ、品質の確立、コスト管理、日程管理を手がけた。

鈴木 佑太
システムコンポーネント開発部
ショベル統合システム開発グループ
鈴木 佑太 (すずき ゆうた)

2012年入社。ショベルのソフトウェア開発を担当。新型機では大型モニタのソフトウェア開発、メカトロコントローラ開発を担当し、環境機械展開にも携わった。新・アタッチメントモードにおいては油圧グループと共同で操作性調整の具現化を検討し、ソフト仕様に落とし込む役割を担った。

約1年半で集中して作り上げた
新・アタッチメントモード
―プロジェクトの経緯を教えてください。
藤本
2015年~2016年あたりから、プロジェクトが本格化し始めました。当時のソフトウエアは個別対応がとても多くて、鈴木さんの部署が大変でしたよね。個別対応ソフトは開発に費用も時間もかかるため、最新を保つことが難しくなっていました。正規のソフトはバージョンアップしていくのに、個別対応ソフトが置いてけぼりになるのが問題でしたね。
鈴木
私がチームに入ったのは2017年からです。通常の業務と並行しながら、このプロジェクトメインに力を注ぎました。
藤本
ちょうど新型機のフルモデルチェンジに合わせて、開発が本格的になっていった時期ですよね。だから、新・アタッチメントモードにおいては、鈴木さんたちが加入して約1年半で集中して作り上げたことになります。
―どのような体制でプロジェクトを進めていかれたのですか?
藤本
私はプロジェクトリーダーとして、コンセンセプトワークやマネジメントを担当しました。設計・実装は鈴木さんのソフトチーム。そして油圧チーム、オペレーターが試験する試験室、4チーム9名体制で進めていきました。心臓部はやはり鈴木さんのいるソフトチームでしたね。
鈴木
同じ開発部ですが、それまで面識しかなかった方と仕事ができたのも貴重な経験でした。藤本さんとも直接仕事するのは初めてでしたね。
藤本
初めてですね!開発部といっても幅広いから、なかなかリンクしないんですよ。
私は開発以外にも、営業や生産管理、材料調達、海外部署など部署をつなぐパイプ役のようなことをしていますが、鈴木さんは専門分野なんです。いわばソフトのプロフェッショナル。私は機械全体を俯瞰して見ますが、鈴木さんはピンポイントを見ます。
トライ&エラーの繰り返し
納期ギリギリで出たOKサイン
―開発の段階で、苦労されたことは?
藤本
まず開発期間がタイトでした。ヨーロッパの排ガス規制に合わせたフルモデルチェンジでしたので、締め切りが決まっていたんです。もともと新型機は、先に欧州がターゲットでしたので、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアの各国から業界を代表するようなプロのオペレーターを招いて、評価会を行いました。通常は1年に2回開催のところ、4回開催しました。最初は叱責もあったんですよ。「こんな機械、オレたちが評価しなければならないのか!」と言わんばかりに…。英語は得意じゃないですが、笑顔がないし、満足していないのがありありとわかるんですよ。次への注文と文句をえんえんと言われましたね。それをそのまま鈴木さんに持って行くわけです。
鈴木
操作性については、油圧チームの存在が心強かったですよ。一緒にアイデアを出しながら解決策を探りました。
藤本
ソフトと油圧チームは、社内でも距離的に近いところにいる。よく話をされていましたよね。まず、私が要望を持っていって、二つのチームに考えてもらい、ソフトに実装して試験室でオペレーターが実機検証。試験室でチェックするのは、海外にひけをとらない操作のプロ、正規のオペレーターです。この流れを5回以上繰り返しました。そして、次の評価会で新たなフィードバックをもらって、また鈴木さんのところへ要望を持って行く。トライ&エラーをぐるぐるやっていました。鈴木さんたちには苦労をおかけしましたが、評価会の度にどんどん改善していきましたね。
―最終OKが出たのはいつだったんですか?
藤本
工場で量産がスタートする1~2カ月前、本当にギリギリでした。6回目の評価会でOKが出たんです。会を重ねるごとに海外オペレーターの表情が変わっていって、最後の乗車では満面の笑み、親指をグッと立てたんですよ。それを見た時、「やってやったぞ!」と思いました。コベルコ社以外の機械にも多く乗っていて妥協を許さない厳しい方々から信頼を得られたのは、嬉しかったですね。
現場と同じ視点に立つ「ユーザー現場主義」
―他社機と比べて【新・アタッチメントモード】の強みとは?
藤本
お客様からいただいた貴重なご要望を一つひとつ選別してどう実現していくかという考えの方に重点を置きました。一人ひとりのお客様に対応できるようにすることもポイントでした。オペレーターは個人個人、操作においてフィーリングが違います。そのフィーリングを最大限活かせる調整の仕組みが一番の強みですね。コベルコが掲げる「現場と同じ視点に立つ“ユーザー現場主義”」が生きていると思います。
鈴木
他の業務と並行してのプロジェクトでしたが、1年半で一気に作り上げたので、こんなに勉強したのは初めてですね。ショベル全体の知識もこのプロジェクトを通して格段に上がりましたし、設計上のウイークポイントもわかってきました。今回の経験値は今後の開発にも活かせるといいなと思います。
藤本
鈴木さんは専門的なことをとことん突き詰めるし、とてもこだわりが強い。私は「なんとかなるだろう」なんですが、彼は「なんとかなるだろうじゃ、ならないだろう。だからなんとかする」なんです。それが若くても彼を抜擢した理由でもあります。
鈴木
抜擢されるほど華々しいものじゃないですよ(笑)。
藤本
今振り返ると、将来に向けたいいステップアップになったと思っています。新型機のフルモデルチェンジの中での、新システム開発は、なかなかありませんから。鈴木さんが今後、この経験をベースに飛躍していくことを期待しています。
―開発への想いを聞かせてください。
藤本
お客様から「いい機械を買ってよかった」「この操作が良かったよ」「お願いしていたこと、直っていたね」と言われる機械を作ること、これが一番の想いです。要望を具現化して、買っていただいて、評価してもらう。そこをいつも目指しています。
鈴木
当時29歳で、こんなワールドワイドで大規模な変更を担当できるレベルじゃなかったんです。でも縁合って携わることになりました。最終製品開発に携われることで、実際に自分が開発したものを街中で見ることができ、世界中に製品が出ていく実感が持てることが大きなやりがいですね。これからもそれをモチベーションとして開発にはげみます!
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