現場最前線
拓南商事株式会社
沖縄県下で
月間約2,500台を処理する
自動車解体のフロントライン
コベルコ建機と連携し、自動車解体機の開発を実現した拓南商事株式会社。
同社の代表取締役社長、川上哲史さんに自動車解体における現場の実態や今後の課題について伺った。
現場最前線
拓南商事株式会社
沖縄県下で
月間約2,500台を処理する
自動車解体のフロントライン
コベルコ建機と連携し、自動車解体機の開発を実現した拓南商事株式会社。
同社の代表取締役社長、川上哲史さんに自動車解体における現場の実態や今後の課題について伺った。
代表取締役社長
川上 哲史さん
取締役副社長
平田 要さん
自動車解体機の開発で
リサイクルの未来を拓く
拓南商事は、沖縄県下で発生する金属スクラップや使用済み自動車、家電、自動販売機、OA機器類などを回収し、製鋼原料、非鉄金属原料の再資源化を行う総合リサイクル企業だ。
先の大戦で国内唯一の地上戦が展開された沖縄。戦後、各地に散乱していたその残骸である鉄くずを県民の経済につなげられないかという思いから、同社はスクラップ集荷販売業として1953年に創業され、2023年に70周年を迎えた。創業の3年後には拓南伸鉄株式会社(現在の拓南製鐵株式会社)を設立し、回収した鉄スクラップを自ら製品化する製鋼業にも進出している。
同社が自動車リサイクルを始めたのは1970年代末頃から。その背景にあったのが、鉄道などの大量輸送機関のなかった沖縄における自動車の普及率の高まりである。それに伴い、使用済み自動車の数も急激に増加し、これらを資源化していかないといけないという社会的なニーズが出始めていたと語るのは、代表取締役社長の川上哲史さん。
「ただ、当時の自動車の解体作業は人力によるガス切断工法が主体で、極めて非効率なため、処理台数の増加に対応できていませんでした。そこで、当社では処理能力の増大を図るべく、破砕施設であるシュレッダープラントの導入を検討。機械化により、現場の安全性を高めるという狙いもありました。しかし、シュレッダーに使用済み自動車を投入するにはバンパーや触媒などを回収する前処理が必要で、これを人手でこなすのはあまりにも重労働すぎる。そこで当社が考案し、油谷重工(現在のコベルコ建機)と連携して開発されたのが、初代の自動車解体機というわけです」
1979年に完成した一号機は、作業の大幅な効率化を実現し自動車解体の現場に革命をもたらすことになる。
EV化を見据え、
自動車解体機はさらなる進化へ
拓南商事では現在、月間およそ2,000〜2,500台の使用済み自動車を自動車解体機で分別・解体している。同社の副社長、平田要さんによると、ヤード内では5台のマルチ解体機が稼働中だ。
「マルチ解体機はスタンダードな自動車解体機からの進化形。対象物を押さえ込むだけでなく、挟み込んでの固定も可能な開閉式クランプアームを装備し、よりスムーズな解体作業が行えます」
マルチ解体機のニブラー。ハーネスなど細かなものも取り除ける
一方、自動車解体機のオペレータとして長年にわたり自動車解体の現場を経験してきた金城誠さんは、現場の変化をこう語る。
「私が自動車解体機に乗り始めた10年ほど前から比べると、一台の車からの回収物がかなり増えていると思います。その分、解体機にはより繊細な動きが求められますが、マルチ解体機には操作面での不自由さはまったく感じていません。車の重量自体は軽くなっていますので、持ち上げることに関しても問題ないですね」
あえて要望を挙げるとすればとの質問に、金城さんは車の燃料タンクの材質が鉄から樹脂に変わったことによる操作上の難しさを語ってくれた。
「燃料回収後の抜き忘れを確認する工程で、樹脂タンクだと二ブラーの先がなかなか食い込まないという難しさがあります」
EV化などを考えると、自動車の中身は今後さらに大きく変化していくはず。自動車解体機にもそれに合わせた進化が求められるだろう。
「EVには多くのセンサー類なども付いていますし、レアメタルなどの希少金属の回収を考えると、シュレッダーで一気に破砕するというわけにはいかないでしょう」と語る川上さん。
拓南商事とコベルコ建機の連携による新たな開発プロジェクトがスタートする日は、もしかしたらそう遠くないかもしれない。
開閉式クランプアームでがっちりつかみながら、解体作業に従事するマルチ解体機SK135SRD
マルチ解体機に乗って10年弱のキャリアをもつ、オペレータの金城誠さん
左)開閉式クランプアームでがっちりつかみながら、解体作業に従事するマルチ解体機SK135SRD
右)マルチ解体機に乗って10年弱のキャリアをもつ、オペレータの金城誠さん
レストアされたYS750と、
プロジェクトの中心人物、営業部部長の名嘉貞治さん
きっかけは2019年、取引先の自動車解体業者のヤードで、営業部部長の名嘉貞治さんが1台の古びた解体機を見つけたことだった。名嘉さんは、当時のことをこう振り返る。
「初めはただの古い重機としか思っていなかったのですが、平田副社長に報告したところ、“これは初代の自動車解体機YS750だ。貴重なものだからレストアして展示しよう”と言われ、そこからYS750レストアプロジェクトがスタートしたのです」
解体ヤードで発見された、レストア前のYS750
レストアするにあたって苦労したのが、部品の調達だ。なにぶんにも古い機種のため、電気配線や配管部分に関しても分からないことが多く、プロジェクトが暗礁に乗り上げたことも。そんなとき、コベルコ建機の宮崎営業所にYS750に関する一通りのデータや部品も一部残っているということが判明するなど、いくつもの幸運に恵まれた。
「YS750の開発時同様、今回のレストアもさまざまな人々との連携のもとで成し遂げることができました。私たちの想いに共鳴してくれた修理工場の方々、現存する部品を調達してくれたコベルコ建機さんなど、ご協力いただいた皆様には感謝しかありません」
40年余りの時を経て蘇ったYS750は当時のままの輝きを取り戻し、自動車解体の歴史を見る者に物語っている。