コベルコ建設機械ニュース

Vol.242Jul.2018

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歴史的建造物誕生の秘密を探る!

築地本願寺[東京都]
創建400年。
異彩放ち築地とともに

早朝から多くの人出でにぎわう築地市場。
活気あふれる東京の台所のすぐ隣に、ひときわ異彩を放つ建物がある。
建物の名は築地本願寺。全国でも珍しい古代インド仏教様式をモチーフとした
仏教寺院は、なぜこの姿で、この地に建つに至ったのだろうか。

2014年に国の重要文化財に指定された築地本願寺本堂。築地市場と並ぶ築地のランドマークとして親しまれている

「築地」誕生の由来は本願寺の再建工事

日本の寺院建築のイメージからは程遠い異様な姿だが、築地本願寺は京都の西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院で、2017年に創建400年を迎えた。江戸への布教の拠点として浅草横山町(今の東京都中央区東日本橋あたり)にできたため「浅草御堂」の名で親しまれた。ところが、1657年の明暦の大火(振袖火事)で木造の御堂は焼失。その後の区画整理で幕府から提示された百間四方(1万坪)の代替地は、八丁堀(東京都中央区)の海の上であった。
 埋め立て工事は、対岸の佃島で漁業を営んでいた本願寺門徒(檀家)らによって行われた。この時、葦の茂る湿地帯を埋め立てて土地を築いたことから、この地は「築地」となった。大火の翌年には3分の1ほどが埋め立てられて仮本堂が建ったというから、工事はかなりの急ピッチで進められたようだ。
 再建工事が完了したのは1679年。「築地御坊」と呼ばれた本堂の大屋根は海からもよく見えたようで、航行する船の目印になっていた。その後何度か再建されていた木造の本堂だったが、1923年に起きた関東大震災にともなう火災で再び焼失してしまう。

型破りな姿を生んだ二人の出会い

本堂再建にあたっては、またもや他所への移転が検討された。江戸時代を通して築地が度重なる火災に遭遇していたことや、境内がやや手狭だったことが主な理由だ。移転先には、約5万坪の代々木大山公園(渋谷区)、約3万坪の池田侯爵邸や島津公爵邸(ともに品川区)などが候補に挙がった。特に有力だったのが五反田の島津公爵邸で、ほぼ移転が決まりかけていたというが、結果的に幻に。代わりの移転先も見つからなかったため、もともとあった築地で再建されることとなった。
 3年の工期を経て、1934年に落成したのが現在の本堂。門徒の間でも賛否両論の「否」の声が圧倒的だったその型破りな姿は、二人の人物の奇跡的な出会いがなければ決して生まれることはなかった。一人は、本願寺第22代宗主の大谷光瑞。本山のトップである一方で、仏教が日本に伝来した経路を明らかにするために、大谷探検隊を組織。西域(中央アジア)仏教遺跡の調査・発掘を進めるという異色の人物だ。もう一人は、その大谷宗主から設計の依頼を受けた建築家の伊東忠太。平安神宮(京都府京都市)や靖國神社(東京都千代田区)など日本を代表する数々の建築を生み出した「日本建築界の父」である。伊東もまた、日本建築のルーツを求めてアジア各国を訪ね歩き、その過程で大谷宗主と出会い、意気投合。伊東は「仏教はインド生まれなのに、なぜ日本にはインドの建築様式に由来する寺院ないのか」と疑問を持ち、インドの建築様式をベースとした再建プランを考案。これまで誰も見たこともないような常識外の発想を盛り込んだ。
 まず大きく変わったのが本堂の向き。火災が多かったことを考慮して、寺内町のあった南西側(現在の築地市場の方向)に向いていた本堂を、統計的に風のリスクの少ない北西向きに変更。
 瓦葺きの大屋根を掲げた木造の本堂も、花崗岩で覆った地上2階・地下1階建ての鉄骨鉄筋コンクリート造に一新。震災でレンガ造りの建物の多くが倒壊したことを踏まえ、再建本堂は耐震・耐火性が重視された。またコンクリートの使用が、レンガに比べて彫刻や加工による表現の幅を広げたことも、伊東が描く世界観の実現に一役買った。
 建物正面で特に目を引く、先がとがって丸みを帯びた切妻屋根や、その屋根に彫られている菩提樹や蓮の葉のモチーフは、アジャンタ石窟寺院などに代表されるインドの古代仏教建築に着想を得たもの。また、左右対称に伸びた翼部にそれぞれ小塔を配置した構成はアンコールワット(カンボジア)やボロブドゥール遺跡(インドネシア)に酷似しているが、基準階を建物2階に置いた点や、キリスト教の聖堂でお馴染みの拝廊と呼ばれる広間を設けた点などは西洋建築の影響が見てとれる。欧米をはじめアジアの各地を訪ね歩いてきた伊東は、その目で見た各地の伝統的な建築物や意匠を克明にスケッチしてきた。蓄えた数々のアイデアが伊東というフィルターを通して、再建本堂の各所に巧みに反映され、既存の枠に収まりきらない独特の景観を生み出している。

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築地本願寺(写真左)の外観は、インドのアジャンタ石窟寺院(写真右)から着想を得ているという

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大屋根が目立つ「築地御坊」は、たびたび浮世絵にも描かれる名所の1つだった。絵図の右側が東京湾、本堂正面の道を挟んで向かい側が寺内町で、現在の築地場外市場(『新撰東京名所図会』第三十編より)

“らしさ”と意外性が共存するお寺

大空間が広がる本堂内部は、インパクトのある外観とは打って変わって伝統的な浄土真宗寺院の造り。内陣の正面には本尊の阿弥陀如来立像が安置されるなどいかにも仏教寺院の空間だが、至る所にこのお寺らしい独自性が感じられる。床にはモザイクのタイル、見上げるとシャンデリア、入口の扉の上部にはステンドグラスがはめられ、その両脇に巨大なパイプオルガンがどっしりと構える。大きいもので全長3m、小さいものは1cm足らずの約2,000本のパイプで構成されるこのオルガンは、1970年に寄贈されたドイツ製。法要行事や結婚式のほか、毎月最終金曜日(12月は第3金曜日)に開催される無料のランチタイムコンサートで美しい音色が奏でられる。
 動物の装飾が多いのも特徴だ。設計者の伊東忠太は『怪奇図案集』という本を出すほどの不思議な生き物マニア。随所に変わった動物の彫刻が登場するのは伊東建築の個性の1つだ。伊東が動物と仏教の関係性を明確に意識していたかは定かではないが、動物たちの命もまたかけがえのないものであるというメッセージを建物に刻み込んだと考えるのは早計だろうか。
 創建400年を機に、築地本願寺は「開かれたお寺」を目指して境内をリニューアルした。和をコンセプトにしたカフェやオリジナルグッズを扱うショップなどを併設したモダンなインフォメーションセンターを2017年11月にオープン。そのおかげもあり圧倒的な外観から足を踏み入れるのを躊躇していたような人も気軽に立ち寄るようになった。境内には年間300万人以上が訪れ、築地市場と並ぶ観光スポットとなっている。

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インフォメーションセンター内にある「築地本願寺カフェ」。モダンな建物と境内の風景がうまくマッチしている

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本尊を安置する内陣正面。本堂には日本の伝統的意匠要素が随所に配され、シャンデリアも蓮を模した形になっている

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堂内外の至る所に伊東の手がけた動物の彫刻がある。本堂の入口に続く階段に鎮座する翼の生えた獅子像。

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設計図に「グロテスク」と名付けられている幻獣の彫刻。

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階段の手すりには、ぽってりとした象の姿も

本堂入口付近の巨大なパイプオルガン。中央のステンドグラスとともに仏教寺院の空間に違和感なく溶け込んでいる

砂山幹博= 取材・文 田中勝明= 撮影 text by Mikihiro Sunayama / photographs by Katsuaki Tanaka