コベルコ建設機械ニュース

Vol.246Oct.2019

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歴史的建造物誕生の秘密を探る!

熊本城[熊本県]
復旧進み、勇姿まもなく

2016年4月に起きた熊本地震からおよそ3年半。
観測史上例のない大地震で大きな被害を受けた熊本城では、
2019年10月5日からの特別公開に向けた天守閣の復旧工事が最優先で行われた。
広い範囲にわたって損傷した熊本城がどのように復旧を進めてきたのか振り返ってみたい。

復旧工事が進み、以前の堂々たる姿を取り戻しつつある天守閣(2018年10月25日)

難攻不落の堅城を襲った未曽有のダメージ

戦国きっての猛将で、築城の名手でもあった加藤清正が熊本城を完成させたのは1607年のこと。周囲5.3km、総面積98万㎡におよぶ広大な城域には大小2つの天守からなる天守閣のほか、往時には櫓(やぐら)49、櫓門(ろうもん)18、城門29を数え、その鉄壁の構えから難攻不落の堅城と称されてきた。ところが、1877年の西せいなん南戦争で主戦場の1つとなったことで、大小の天守や本丸御殿など本丸中心部の建物の大半を焼失。火災を免れた宇土(うと)櫓など13棟が現存し、国指定重要文化財になっている。

2016年の熊本地震では、倒壊や崩落、一部損壊も含めると、この重要文化財建造物13棟はすべてが被災。天守閣など後に再建・復元された20棟の建造物にもすべて被害がおよんだ。4月14日21時26分に発生したM(マグニチュード)6.5(最大震度7)の前震と、16日1時25分に起きたM7.3(最大震度7)の本震による被害は、かつて経験したことがないほど規模の大きなものとなった。石垣は全体の約3割に当たる約23,600㎡に膨らみや緩みが生じ、全体の1割は見るも無残に崩落した。地盤も70カ所、約12,345㎡にわたって陥没や地割れが発生するなど被害は城の全域におよんだ。

決して地震に備えていなかったわけではない。重要文化財の耐震改修については検討を重ねていた時で、石垣も2013年に石垣面の数や面積を調査済み。地震で崩れた時のためにすべての石を撮影して3年計画で資料をつくろうとしていた。このタイミングでこれほど大きな地震が来るとは思ってもみなかったと、復旧作業にあたる熊本城総合事務所の城戸秀一さんは話している。

「14日の前震のあと、すぐに城内を見回り、被害がおよんでいる建造物をひと通り記録しました。どのように修復を進めようか思案していると、16日にもう一度大きな揺れが来ました。この本震による被害は予想以上に大きく、14日の調査が意味をなさないほど多くの建造物が甚大な被害を受けました」

天守閣から瓦が剥がれ落ち、崩れた石垣が道路を塞ふさぎ、「一本足」になった石垣がかろうじて櫓を支える映像にショックを受けた人も多いと思うが、「熊本の象徴」「県民の精神的な支柱」と日頃誇りに感じている熊本の人たちの落胆はいかほどのものであったろうか。

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1. 鯱瓦(しゃちがわら)や多くの瓦が落ちた地震直後の大天守/2. 大天守は最優先で工事が進行中(2018年11月1日)/3. 頬当御門周辺では通路両面の石垣が崩落/4. 石垣の養生工事が終了し、工事用仮設スロープが設置された(2017年9月)/5. 3カ所が崩落し、石が市道を塞いだ百間石垣/6. 安全対策を施し、通行再開(2016年8月)/7. 地震直後に奇跡の「一本石垣」と取り上げられた飯田丸五階櫓。崩落した石は無人重機で回収された/8. 石垣を積み直すため建物部材を一度解体/9. 部材ごとに選別し倉庫に保存

長く険しい文化財の復旧作業

地震から約1カ月で全体の被害状況を把握すると、緊急を要する箇所から工事が進められた。道路や民家の敷地を覆った石垣の石は優先して撤去。また、倒壊の恐れのある建造物には防止処置を施し、石垣や地盤に亀裂がある場所には、雨が浸入して再び崩れるのを防ぐための養ようじょう生シートをかぶせた。

次いで、城内に工事車両を通すための動線の確保だ。動線を得るには、まず通路上に散在する崩落した石を移動。余震が続いているため、建造物や石垣が通路に危険をおよぼさないための措置も施さなければならない。加えて、熊本城は「熊本城跡」として国の特別史跡に指定されており、石垣はすべて文化財だ。文化財は文化財保護法で保存と活用が定められている。建造物の部材だけではなく石垣の石もどこで使われていたのかを特定し、元に戻すことを前提に保管しなければならないのだ。石垣の調査を行う熊本城調査研究センターの金田一精さんは、こう話す。

「石垣は地震直前の状態に戻さなくてはならないのですが、測量データがないため地震前の石垣の石の形状が分かる写真探しから着手しました。次に、崩落した石垣を撮影。写真の石一つひとつに番号を振った資料を作成したところで、ようやく石の回収作業を始めました」

回収後、石の形状を観察し、表面の特定や、亀裂や欠損の有無を確認。石から読み取れる情報をすべて記録した石材調査票を作成する。これを元に回収前に作成した番号入りの写真資料や、崩れる前の写真と照らし合わせて石を1つずつパズルのように当てはめ特定していく。損傷した石材もあり、補修で済むのか交換が必要なのかも追って判断する。こうした気の遠くなるような作業を、崩落したすべての石垣で行うのだ。ちなみに1日に積み直せる石の数はわずか5~6石。石垣を積み終えないと、その上に建つ建造物の修復が始まることはない。

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大天守の芯木に新しい鯱瓦が差し込まれた(2018年4月6日)(写真提供:熊本城総合事務所)

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石垣部分が鉄骨で覆われ、上層部には工事用足場が組まれた大天守(2017年10月27日)

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小天守の復旧もいよいよ本格化(2019年4月24日)

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二の丸広場には復興見学ルートが設けられ、城の周辺の22カ所には案内板を設置。順にたどると復旧の様子や手順が分かるようになっている

「復興のシンボル」お披露目は間近

散在していた部材や石を取り除き、天守閣のそばにクレーンを送り込むことができたのは地震発生から1年後のことだった。その天守閣が、重要文化財建造物とともに優先的に復旧されることが、2018年3月に策定された「熊本城復旧基本計画」で明らかになった。これは被災した熊本城を文化財としてだけではなく、市民の憩いの場、あるいは観光資源としての観点からもとらえ、復旧とともに公開や活用も併せて行う考えや施策を定めたものだ。

「伝統工法でつくられているものは同じ技術を使って戻すのが大前提ですが、『人が近寄る場所には補強を考えなくていいのか』という判断も求められます。熊本城は熊本城公園としても市民に利用されていますし、観光で多くの人が訪れます。単に復旧といってもさまざまな観点から、作業の優先順位や耐震化を含めた施工方法を検討しなければなりません」(城戸さん)

二度の地震とも閉園後に起きているのが不幸中の幸いで、城内で直接人に被害がおよぶことはなかったが、通路に沿った石垣は崩壊しているのだ。復旧基本計画では、従来の伝統工法を基本としつつも、必要があれば現代工法や最新技術を採り入れた工法の検討をその都度行っていくとしている。

加藤清正は7年で熊本城を築城したそうだが、今回の復旧は調査や検討を重ねながらの工事となるため少なく見積もっても20年はかかると見られる。

天守閣の早期復旧は、人の目に付きやすく「復興のシンボル」になり得ることが大きな理由だが、工事の見通しが立てやすいことも優先される理由の1つだ。現在の天守閣は1960年に、明治初期に撮られた写真を元に外観のみ忠実に再現した鉄骨鉄筋コンクリート製の建物。つまり石垣以外は文化財ではないため、伝統工法よりも自由度の高い現代工法による工事が可能なのだ。天守閣の復旧整備工事では、石垣と上層部の工事が同時進行で行われ、耐震補強はもちろん、災害発生時の減災対策として防火区画を設けるなどの安全対策も講じられる。

2018年4月に大天守に2体の鯱瓦が復活し、同年11月末には大天守石垣の積み直しが完了した。今夏は、2019年10月5日からの特別公開に向け、工事が急ピッチで進行された。内部を含めた天守閣の完全復旧は2021年度を予定しており、工事は今後も続いていく。そのため今回の公開は、天守閣エリアまで設置されている工事用仮設スロープを通り外観を眺める限定的なものになるが、工事途中の様子を間近で見学できそうだ。

城内には、石垣が崩れたままで作業が未着手の箇所も多く見受けられ、熊本城が地震前の姿を取り戻すのはずっと先のことになるだろう。それでも、見上げると大天守がその勇姿を見せる日常は戻ってくる。足取りは決して早いとはいえないが、復旧に向けて確実に歩みを進めている。

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回収した石垣の石は、後に積み直す時まで城内外の石置き場に並べられる(二の丸催し広場)

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補修できなかったものは交換石材を新たに作成する(天守閣)(写真提供:熊本城総合事務所)

二の丸広場周辺からは天守閣の工事状況が遠目に確認できる。一方で、石垣が崩れたままで作業が進んでいない場所も少なくない(2018年10月25日)

砂山幹博= 取材・文 田中勝明= 撮影 text by Mikihiro Sunayama /
photographs by Katsuaki Tanaka